INDEX
バンコク会議とは? JOCS

にゅうず・れたあ
第二号
目次

1、過去の会議 を振り返って

2、メンバー紹介

3、ひとこといわせてJOCS

4、インフォメーションと後記
JOCS第4回バンコク会議準備委員会

新宿区西早稲田2-3-18-23
TEL03-3208-2416
FAX 03-3232-6922


お問い合わせ先:事務局 塚本


過去のバンコク会議を振り返って

今年末の第4回バンコク会議に先立ち、過去のバンコク会議がどのように行なわれたのかをご紹介するため、当時の準備委員長である内坂徹氏と仁科晴弘氏にそれぞれの会議についてお話しいただいた。
第二回バンコク会議
(1982年12月29日〜1983年1月5日
 タイ国ワンケオー) 準備委員長
内坂徹氏より
第三回バンコク会議(1991年12月28日〜1992年1月2日 タイ国パタヤ・ヴィラナビン)
準備委員長仁科晴弘氏より

第二回バンコク会議はその会議に出席できる事が至上の喜び、生きがいと感じた会議であった。準備会の段階で、日ごろ尊敬し敬愛するキリスト者医科連盟の先輩のお話をうかがうことが出来た事は喜びであった。
1980年代には、最大の問題であった東西問題(核戦争の危機)と南北問題(北の豊かな国々と南の搾取されている貧しい国々)について真剣に話し合われた。今JOCSが歴史上どの位置に在るのか。神は私たちをどの方向へと導き給うのであるか。討議し、また祈る日々であった。ワーカーのアジアからの現場の生々し声、叫び、祈り、敬愛する講師の人々の深い洞察に満ちた言葉、その会議の中で参加する私たちが霊の働きによって成長させられていることを感じ、国際医療協力には様々な方法があることを学ばされた。
しかし、JOCSはその様々な選択肢の中で相手国キリスト教団体の要請に応じた働きに参加するという基本的原則を守り、相手組織の弱さも含めて共にその重荷を負い続けてゆく事の大切さを再確認したのである。

「神様 あなたが望まなければ、たとえ僕たちが人の思いからJOCSという器の中で何かを行なおうとしても きっとそれは閉ざされるだろうし、あなたが真に望むならば、道は自然に示されて行くのでしょう。どうかあなたが答えをお示しください。」バンコク会議の最終日の前夜。延々と繰り広げられ、とてもまとまりを得られると思えない会議の後、寝不足と蓄積した疲労で少し朦朧とした頭を抱え議長団は翌日の総括討論の準備をしていた。祈りで始め祈りで終える会議であっても、僕たちはいつの間にか「頭と理屈で考えて」反対意見を説き伏せよ、としていたのではないか。JOCSの方向性がそんなものだけで決められて良いはずが無い。「本質的な意味で現地の人々の役に立つものでありたい」この柱については、参加者全員の思いは同じはず。それならば、後は委ねたい。そんな考えに満たされて最終日を迎えたように記憶している。
JOCSの組織の事、プロジェクト方式の活動の事。第三回バンコク会議が提示したテーマに対する答えは10年たった今もまだ明らかにはなっていない。第4回の会議がそれらについて、一つの結論を示す場になる事を期待している。

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メンバー紹介

前号からの続きで、上田晴美さんの紹介です。

私は、上田晴美です。JOCSとの出逢いは、助産婦として働き始めた淀川キリスト教病院に就職してからです。しかし実際関わりを持ち始めたのは、二年前に実際海外で活動していくにはどうすれば良いかと淀キリの船戸先生に相談し、JOCSの前総主事の加輪上さんと出会いました。それからはセミナーに出席したり、バングラデシュへ実際行ってみたり、沢山勉強させて頂きました。
他の研修へ行ったり、留学したりと離れていましたが、昨年の秋、畑野先生からバンコク会議の準備委員についてお話を頂きました。何か出来ることがあれば、勉強になるなら、とお受けしましたが、何と大きな働きなのだろうと今更びびってます。今は新生児訪問、助産婦会の子育て支援事業の手伝い、産婦人科病院のアルバイトをしている、いわゆるフリー助産婦です。なので、二年前病院を退職してからバックには何もありません。今も他のメンバーの活発な活動に全然ついていってない自分が恥ずかしいです。しかし出来る所まで皆様の、神様の力をお借りして努力していきます。お願いします。


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