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バンコク会議とは? にゅうずれたあ目次へ


特記すべきことは、1950年代にNepal Christian Fellowshipが設立されたことと1960年のネパール最初のクリスチャンがタンセンで逮捕されたことである。1960年代は、教会が成長し、伝道は拡大していき、ますますミッションから独立していく。また、Wycliffe Bible Translators、Youth for Christ、Operational Mobilization、Bible Societyなどが活動を開始した。
 JOCSでは、1961年6月 上田喜子・川島淳子看護婦を初めてワーカーとして派遣した。その後、1962年岩村昇・史子夫妻、1969年伊藤邦幸・聡美夫妻と家族、1969年俵友恵助産婦、1973年桜井正恵栄養士、1978年前田廸代保健婦、1981年宮崎伸子看護婦、1993年木村雄二・知珂子夫妻、1995年安田敏明・みゆき夫妻と家族が次々と派遣された。宮崎(TLM)以外は、UMNへの派遣である。ネパールでは、ミッションと国との契約で、宣教活動はできないことになっている。しかし、クリスチャンが礼拝を持つことは禁止されていないので、ミッショナリー(ワーカー)は、各自で信仰生活を守り、多くの者は現地教会に出席している。
 JOCSワーカーも、それぞれの任地で、同僚のミッショナリーやネパール人クリスチャンと協力して、良い証しをされていた。カトマンズでは、日本人旅行者や在住している日本人が多く、病気になるとJOCSワーカーは頼りにされており、皆さんよく面倒をみておられた。
ネパール宣教の始めから、ミッショナりーたちは脇役に徹し、ネパール人クリスチャンが中心的役割を担っていたが、これは素晴らしい戦略であると思う。このことが、ネパール人教会が初期から自立し、めざましい成長を遂げている理由だと思う。現在、少なくとも推定20万人のクリスチャンがいると言われ、クリスチャンの増加が政府に脅威を与え、水面下での迫害は今尚強いと聞く。
証し
 私は、1976年4月から8月末までオカルドゥンガの伊藤夫妻とさらに東のチャインプールを訪ねさせていただき、ネパールの医療の現状を見せていただいた。その時、海外で看護婦として働く決心をし、帰国後その準備を始めた。1981年レプロシィ・ミッション経営のアナンダバン病院に赴任した。最初は、クリスチャンナースとしての証として、病院で働くという気持ちであった。赴任後しばらくして、患者伝道集会が持たれていることを知り、事務長に勧められて出席するようになった。メッセージは、ネパール人クリスチャンのジェームス・ナカミさんがされており、患者さんが多く出席していた。みんな楽しそうに賛美をして、熱心に話を聴いているのが印象的だった。1983年から84年にかけて、政府の干渉が厳しくなってきたため、患者集会は中止となった。
 1985年10月に再赴任し、病院関係者や患者さんたちと話し合い、患者集会を再開することになった。2期目は、ニュージーランドからの理学療法士キャソリンも加わり、集会は盛り上がり、信仰に入る患者さんも少しずつ増えていった。患者集会に出席することは義務ではないが、出席して沢山のめぐみと励ましを受けた。この集会は、今もネパール人クリスチャンスタッフに引き継がれている。病院は、毎朝短い礼拝を持ち、週1回夕礼拝と聖書研究会・祈り会を持っている。また、キリスト教の行事は大切に守られ、クリスマスには、スタッフ・家族、患者を招待して、礼拝と祝会が持たれる。イースターには、グッド・フライディ、イースター礼拝が持たれる。
14年間、看護婦として働くだけではなく、クリスチャンとしても良い経験をさせていただいたことを感謝している。
  〈文責:原口〉