著者: | 三浦 綾子 |
読み: | みうら あやこ |
題名: | 『泥流地帯』 |
出版: | 新潮文庫 |
発行: | 1977(1982) |
読了: | 2001/08/21 |
評価: | B: ★★★★ |
感想: |
なぜあんなにいい人がつらい目にあわなければいけないのか? あの苦しみに相応しい悪い奴が大きな顔をしているというのに。神の目は節穴なのでは? 三浦は断言する。勘善徴悪や善行善果・悪行悪果は人間の願望に過ぎず、現実でも神の意志でもない。結果で「普段の行いや心がけ」を判断してはいけない、この世は信賞必罰にはできていない、と。 あの世で清算されると説く教えもあれば、神の栄光が現れるためと説く宗教もある。 『泥流地帯』では旧約聖書のヨブが引合いに出される。とても信心深く真面目に生きてきたヨブに対し、次々と災難が降り掛かる。ついには親友たちまでもが「これほどまでの苦しみを受けるということは、お前はどこかで何か神を怒らせたに違いない。早くその罪を懺悔しろ」と迫るが、本人は絶対にそれを認めない。そして「神が与えたものを神が取り去る、それだけのことだ」と口にする。(文語では「我裸にて母の胎を出でたり又裸にて彼処に帰らんエホバ与えエホバ取給ふなり」) 最後の最後で善行が報われるような結末をほのめかし、読者は救われるが作品は崩壊してしまう点が非常に残念。 |