著者: | 金原 克範 |
読み: | かなはら かつのり |
題名: | 『<子>のつく名前の女の子は頭がいい―情報社会の家族―』 |
出版: | 宝島社新書 |
発行: | 2001 |
読了: | 2002/01/09 |
評価: | B: ★★★★ |
感想: |
名前に<子>がつく子のいる割合は、様々な事情と有意に相関関係があるという。例えば進学校への合格率、好んで接するメディアの種類、読む雑誌、紅白歌合戦の出場歌手のそれ、、、 名前に<子>がつくかどうかが体現しているのは、両親がテレビに代表されるマスメディアにどれくらい影響を受けやすい人間なのか、である。伝統的な価値観とマスメディアから受ける価値観のどちらを大切にするのかという差でもある。 学校崩壊、不登校、引きこもり、いじめなどに代表される現象は全てコミュニケーションの問題であり、マスメディアの与えた影響を見極める必要がある。今の「切れる」子供たちは、メディア二世である。彼らの親であるメディア一世が、人類史上初めて子供の頃からテレビ、雑誌、映画などのマスメディアに接して来た。彼らは、以下のようなマスメディアならではのコミュニケーションを人間にも当てはめてしまう。 ・一方方向である(相手からPassive Languageを受けられない) ・現実に役に立つこと、後で活用できる知識ではなく空想物語など 世代論、コミュニケーション論としてはおもしろいが、この論は特定の世代を一くくりにした議論であり、子供の名前に<子>をつける/つけない差がどこに由来するのかについて非常に弱い根拠しか提示していない。つまり、題名を論証していない。 |