著者: | 島内 景二 |
読み: | しまうち けいじ |
題名: | 『文豪の古典力―漱石・鴎外は源氏を読んだか―』 |
出版: | 文春新書 |
発行: | 2002/08 |
読了: | 2002/10/23 |
評価: | B+: ★★★★ |
感想: |
夏目漱石、森鴎外、樋口一葉、尾崎紅葉、与謝野晶子という明治の文豪を取上げ、「古典力」の意義を訴える。 古典を「原文で」読みこなしていた文豪たちは、その古典を表現、舞台設定、構成、状況などに様々な形で自由自在に引用したり換骨奪回して作品世界を豊かにしていた。しかし、与謝野晶子の「現代語訳」「口語訳」を大きな契機として「原文」で読めない、従って作品の世界を表面以上には共有できない読者が増えてしまっている。文字という表現のみを武器にしている芸術である文学にとってこれは由々しき問題である、引いては文化遺産を相続できない状況にも繋がっている、というのが作者の主張。 各論賛成、総論反対、というところ。「日本人」=「日本語」=「日本の書き言葉」=「日本の文化」という直線的短絡的な思考には反発を覚えるけれど、個々の議論は非常に面白い。 明治の作家たちが苦しみ生み出した「言文一致」の功罪にもう少しマクロな視点から切り込んで欲しかったな、という物足りなさはあるけれど、特徴ある作家に焦点を当てるというスタイルが成功している以上、ないものねだりかな。「文学探偵」という問題への迫り方も気に入った。 |