著者: | 井上 章一 |
読み: | いのうえ しょういち |
題名: | 『美人論』 |
出版: | 朝日文庫 |
発行: | 1995/12(1991/01) |
読了: | 2003/01/04 |
評価: | B-: ★★★★ |
感想: |
再読。 「美人はなぜ得なのか」。もっともだけど、改めて考えるほどでもない疑問を調べあげて本にまでしてしまった。(笑) 「美人とは何か」「美人の条件は」といった一般的なアプローチは採られない。美人を巡る言説の周りを歩いてみることにより、美人はどういった扱いを受けるのか(異性から、同性から、どういった眼差しを向けられるのか)を明らかにする。結論は明快。美人の定義は時代により異なるが、美人はいつの世もちやほやされるし得をする。また、同性、特に美人でない同性からはやっかみを受ける。 一般的な印象を裏付けただけといえばそれまでだが、この結論を導くために援用される資料が面白い。明治の修身の教科書と現代の道徳あるいは家庭科の教科書の比較など。番外編として、林真理子と上野千鶴子のバトルが本書の生きたサンプルになっているのも一興。 ただし、『キリスト教と日本人』と同じく乱暴な推論が多いので、アカデミックな装いはしていてもエンターテイメントのつもりで読むこと。たとえば、美人の社会的な位置づけが大きく変わった契機として、明治初期の外交が挙げられている。西欧文化の導入により、それまでは文字通り家の奥にいて人前に出ることのなかった奥様たちが社交の場に顔を出すようになった、それまでは家柄などが重視されていたのに、見た目の美しさが重視されるようになった、ごく初期には芸者が外見と社交テクから重宝されたという主張。ここから「美人は男を惑わしダメにする」「美人は頭が悪い」「美人からなずしも良き母ならず」というやっかみも生まれたんだとか。 |