IINDEX
バンコク会議とは? にゅうずれたあ目次へ

発題を受けて、フロアからの意見・感想・アドバイス


内坂: ヘンリーナーベさんいわく「逆方向のミッション」北から南へ、クリスチャンからノン・クリスチャンへという一方通行で考えがちだが、実は南から北へのミッション、ノンクリス チャンからクリスチャンへのミッションが行われている。 
神の証人として生きること、効率とはまったく無関係の世界

石川: 「これらのうち、もっとも小さいものにしたことはすなはち私にしたことである」とある。 第2回に選んだ「私があなたを愛したように」よりもJOCSのミッションとなるべきなのでは。
宣教論を神学論でやるのは混乱するからやりたくない。福音とエキュメニズの二つの大きな方向性があり、いままでそれにこだわらなかったからこそ、JOCSは超教派として広いサポートを受けられてきたのではないか。現実の活動を通してメッセージを伝えればそれで十分なのではないか。新たな分裂を生みたくはない

倉辻: 何をもって協力するのか、何を持ってその社会に行くのか、というときに医療、保健という専門性が必要なのではないか。内坂、石川両氏の意見とは矛盾しない

佐藤: P&Pの目的が、改善すること、ではなく努力に協力する、つまり共にあることが最終目標。医療向上が目的ではないというとんでもなさ。かえって新しい。
JOCSが団体として謳うことはすごいことなのかもしれない。

内坂: 私は謳っていいと思う。

川田: 隅谷さんは医者ではなかった。寄付協力者は宣教のためにお金を出してくれているわけではない。伊藤邦之さんのように、(命を捧げて友として)共に歩んだ人の実践に感動、共感してくれるのではないか。

植松: 共に歩むことが最終目的、それをもっと前面に押し出して確認する場になっていいのではないか

斎藤: 現地のクリスチャンにアクセスすることは、スポイルすることになるのではないか、しかし、腐っても教会、腐っても共に歩む、という姿勢

倉辻: 水をぶっ掛けるようなことを言うが、それはキリスト者ではなくても医療従事者ならできることではないか。

石川: ぜひ議題としましょう。両者のバランスをどうとるのか、これは議論したい。

原: ワーカーが主役ではなく、ワーカーを支える人たちも主役だ、ということが言われていた。これはJOCSの基本なのではないか。

高谷: 議論に終わらせないためにどうするのか、を考える必要性。
宗主国、侵略者の宗教であったキリスト教を日本人が背負っていくことの与えるイメージについて自覚しているのか、考えたほうがいいのではないか。それらについてのフィードバックを得たい。

杉山: 神学的な論争は先鋭的になると危険。
ヨハネよりマタイ25章のほうがしっくりくるとは思っていた。さっきの石川さんの発言を聞いて納得。マタイの立場に立つのかどうか、は議論するに値するのではないか。

柳澤: カンボジアでぶつかっていたことがまさによみがえってザワザワしてしまった。基本的には倉辻さんに賛成する。お金をどう使うか、などでチーム内で対立したときに・・
マザーテレサのすごいところは、持たないものになったこと。共に歩む、というのはフィロソフィーであって事業ではない。JOCSは事業として「共に歩む」を目指すべきではない。
カンボジアにいたときに、常に「自分は持っている」「彼らは持っていない」という欺瞞にいらだっていた。その差をとっぱらう(自分が捨てる)、その差を利用して事業を行うことのはざまでゆれていた。

高谷: 戦争協力をしてしまった過去がある。制限を持って窮屈なまま行ってもよいのではいれるべきである。

(文責: 原口 祐紀子)

次ページ

ページTOPへ