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バンコク会議とは? にゅうずれたあ目次へ


メンバー紹介

第4回バンコク会議準備委員会のメンバーを紹介いたします。この仲間達で、これから1年かけて準備を進めてまいります。
どうぞよろしくお願いします。



近藤 洋(こんどう よう)…準備委員会委員長
 JOCSとの関わりは始めに記した通り、学生時代は大変お世話になりました。研修医の忙しさもあり最近は少し離れていたのですが、準備委員長という大役を務めさせて頂く事になりました。現在は北里大学病院麻酔科に所属しております。人が寝ているところで仕事をするのが得意のようです。最近は病棟での痛みの治療の仕事も増えてきました。今回の準備委員の構成として医療従事者だけでないという所にも特長があり、様々な視点からJOCSを見ることができればと思っています。主にあって学びを深めることができますように。お祈りください。

石川 華(いしかわ はな)
 私は、5歳から12歳まで、両親と共に、バングラデシュに住んでいた。そのことが、将来アジアで人々の自立を支える働きをしたい、と考えるようになったきっかけである。JOCSと自分から関わるようになったのは大学生になってからで、カンボジアを考える会や海外医療協力セミナー等に参加してきた。昨年の4月から、都内の病院で看護婦として働いている。バングラにいた頃、私達が、多くの方々の祈りと献金に支えられて生活していることを、子供ごころに感じていた。バンコク会議に向けて、これがなくなったらJOCSでなくなる!というものは何かを確認し合い、21世紀に向けてJOCSの進むべき方向性を皆さんと共に考えていきたいと思う。

大友 宣(おおとも せん)
 準備委員をすることになりました大友宣です。私がJOCSに関わっているのは、数年前にバングラデシュにおられた畑野研太郎ワーカーや石田裕ワーカーを訪問したのがきっかけとなっています。当時信州大学にいたのですが、その後、北海道大学の医学部に再入学し現在に至っています。北大に入学してからはJOCSの海外医療協力セミナーに出席したり、その企画のお手伝いなどをしていました。北海道では代表の楢戸健次郎先生のもとでどさんこ海外保健協力会(HOPE)の活動をしています。バンコク会議が神様の御声をよく聞くことができる会議になるように、もっとも小さい人のニーズに応えることができる会議になるように、準備ができればと思います。

岡崎 恵美子(おかざき えみこ)
 助産婦として昨年4月から病院で働いています。JOCSのことは看護大学に入る前の春休みに知り、セミナーやカンボジアを考える会に時々参加してきました。ワーカーの方々の働きを記した文章を読むたびに憧れ、夢を抱かせていただいています。今回、バンコク会議準備委員に声をかけてもらい、初めてバンコク会議の存在を知ったというほど、JOCSの組織、歴史に関しては知らないことだらけです。これからの11ヶ月間で多くの出会いと学び、活動を通して、これからの21世紀JOCSの方向づけの一部に携われることに感謝し、何がどう起こるか起こせるかを楽しみにしています。

原口 裕紀子(はらぐち ゆきこ)
 「プレゼントよ」母の声にうなずき手を出すとそこには椿の花が1輪。昨晩から降り始めた雪の白さに椿の赤が映えとても美しく「きれいね」と思わず声をあげました。母はいつもこんなふうに私に出逢いを運んできます。それが野の花であったり、時には青虫であったり。美しいもの、いとおしいものを見つけたら素直に感動し分かち合う、その心は親から子へと伝わりました。つくづく私は出逢いに生かされているなあと感じています。JOCSとの出逢いは今から3年前、セミナーなどからのお付き合いから始まり、今回の準備委員に広がってきました。これからの一年、どんな素敵な出逢いがあるのでしょうか。私自身の素朴な視点でお伝えできれば幸いです。

平田 聡子(ひらた さとこ)
 アジアと日本の関係に関心を持ち始めたきっかけは高校時代の韓国修学旅行。大学で途上国の開発問題を少しかじり、アジア諸国を旅していたら「豊かさ」って何なのかわからなくなった(まるで某新書の題名のよう)。その答えは見つからないが、やっぱり健康が大事じゃないかと考えた。でも、健康って何だろう?…
JOCSと出会ってから早4年、今は助成財団(日本財団)で働いている。医療関係者&クリスチャンでない私がJOCSに惹かれるのは、発展途上国の底辺を見つめ、共に生きる姿勢にあると思う。人のためか、自分のためかわからないけれど、JOCSが今後どう用いられるのがいいのか、そして、私も含めJOCSに関わる人がどう活かされればいいのか、バンコク会議で皆さんと考えたいと思う。

山 嘉信(やま よしのぶ)
皆さん、こんにちは(はじめまして)。山嘉信です。JOCSとは東京事務局でアルバイトをしたのがきっかけで関わるようになりました。ここで会員管理システムを担当したのが人生の決め手(?)になり、今はSE(システムエンジニア)をしています。不思議な出会いです…。
JOCSと出会うことで、僕の世界はずいぶん広がり深まりました。直接・間接的にJOCSを通して関わっている世界中の人たちのために、自分の貢献できることで協力できたらいいな、と思っています(我ながらずいぶんとデカイことを言ってますね)。十年に一度のバンコク会議を濃密で実りあるものにするため、皆の知恵を寄せ合って準備を進めていきたいと思ってますのでよろしく!

山本 眞美子(やまもと まみこ)
 山本眞美子です。最近は職場でエリザベス(洗礼名)で呼ばれることが多いです。仕事は、昨年4月より大阪府立看護大学で、母性看護学と助産学の助手をしています。元は助産婦です。今は、自分のアイデンティティを求めて苦悩しています。
JOCSとの出会いは、大学2年の時に同級生から紹介されてから、3年の秋にJOCSのセミナーに参加し始めかれこれ10年以上になります。(年齢がばれますね)海外へは、1995年にカンボジア、1996年にネパールを訪ねています。あれから4年、私の中で最近海外協力への思いが薄れているのを神様は見抜かれていたのかと感じる今日この頃です。準備委員を引き受けてしまったのですが、なかなか準備委員の仕事に身が入らず、仕事に振り回されている私ですが、一歩一歩ゆっくりながら前に進んでいきたいと思います。皆様よろしくお願いします。


畑野 研太郎(はたの けんたろう)…担当理事
 もし私が、1981年の晩秋に内坂さんから電話を受けていなかったら、そして、第2回バンコク会議準備委員会に入らなかったら、私の人生は間違いなく今とは違ったものとなっていたであろう。それがどの様なものになったかを問うことには意味が無いであろう。問うべきは、今、私がその時の出会いを主に感謝することができるかどうかである。答えはYES。この度、第4回バンコク会議準備委員会の誕生にかかわる機会をえた。動き出したメンバーとの出会いを、いま私は主に感謝している。願わくは、主よ、将来においてもこの出会いを、あなたに感謝できますように。 

仁科 晴弘(にしな はるひろ)…担当理事
大学時代岩村先生にフィリピンのフィールドに連れて行ってもらって以来、JOCSとの関わりは早17年。若手と言われ続けてもう10年。最近おなかが出てきました。現在カンボジア委員会と、常任理事会に参加しています。もう一つの医療系NGO「シェア=国際保健協力市民の会」でも活動しており、「趣味はNGO活動です」が自己紹介の決まり文句(家族は泣いています)。第3回バンコク会議では、人と共に祈るという事、人とディスカッションするという事の根本について深く考えさせられました。第4回バンコク会議では、ふたたび心を研ぎ澄ませて祈ると言う事を学びたいと思っています。普段は東京の下町葛飾で勤務医をしています。

塚本 智(つかもと さとし)…事務局担当
 東京事務局の塚本智です。このたび過去10年間を振り返り、今後10年間のJOCSのビジョンを検討するバンコク会議の事務局担当を務めることになりました。
 私が関わってきたカンボジアのような海外で実施するプロジェクトの場合もそうですが、活動を行う際、目的を達成する為に計画し、実施し、評価する、といった一連の流れがとても重要になります。バンコク会議ではJOCSが共に歩もうとしている発展途上国の草の根の人々の視点にも立ちつつ、JOCSの活動をもう一度問い直す実り多き会議となるよう微力ながら準備の一端を担えればと思います。皆さん、どうぞよろしくお願い致します。


★ この他、ご都合で9月迄ですが上田晴美さんが仲間に入っています。上田さんの紹介は次号以降でいたします。