!INDEX |
バンコク会議とは? | JOCS |
にゅうず・れたあ 第三号 6月16日 |
1 |
|
今号では、3月18日と4月15日に行なわれた公開講演会の模様をまとめてお伝えします。 まず、第2回準備委員会公開講演会は「私の考えるJOCSのミッション」と題して畑野研太郎氏に講師をお願いし、 17名の参加者を集め行なわれました。
「私の考えるJOCSのミッション」 <第一部> 1.始めに 医者になって2年目の1978年にパプアニューギニア聖公会のワークキャンプに参加した。初めての海外旅行である。パプアニューギニアは日本軍が1万人上陸し、ジャングルで激戦が交され、その中から生きて帰ったのは千人と言われている地である。受け入れ側はとても歓迎してくれ、40日の滞在は楽しいものであった。しかし握手しながらニコニコして「私の父は日本軍に殺された」というのを聞いて、多感な年頃でもあったので大変ショックを受けた。当時、戦争から30年が過ぎていたが、宴会での踊りの中に日本と英米軍の戦いの踊りもあり、戦争は私達には遠い過去だが彼らにはそうではないということを知らされた。 そこで出会ったオーストラリア人の元軍医は険のある態度だったので余り好きではなかった。 その人と二人だけで、戦争の時に爆撃から奇跡的に救われた大きな十字架の前に立った時、確かに肩を押された様な気がした。 「戦争の時は申し訳なかった」と謝ったら、彼は目の前でボロボロ泣き出し、僕も泣いた。そして心を合わせて祈ることができた。彼には許せない気持ち、憎しみが心の中に生きていた。また僕は戦争を経験しておらず、何故この白人にそんなことを言われなければならないのかという気持ちがあった。そういう僕らに和解を与えて下さる方があり、またその方を僕らは信じている。 これには後日談がある。 聖公会のレポートにそのことを書いたら、2年近くの間に英国聖公会、ビリーグラハムの団体、スペインからも転載を希望され、世界各地の新聞や |
ニューズレターに載った。神様が用いられるのは器によるのではないこと、神様が働いて下さるのであって私たちが働くのではないことを思い知らされた。 JOCSは、戦争に対する贖罪としてやむにやまれぬ思いで始まったことをぜひ覚えておいて欲しい。 2.JOCSの特徴と果たしてきたミッション (1)思想的先見性 @戦争への贖罪:日本基督教団が戦争責任の宣言を出すずっと以前から、JCMAができる時からの課題であった。また、JOCSの創立時の大切な理念であった。 A「みんなで生きる」:今では日本中に溢れる言葉となっているが、世の中で一般的になるはるか以前からJOCSの機関誌の名前となる程の理念として表現してきた。 B草の根を目指す:今のNGOは当たり前のこととして受け入れているが、JOCSは設立当初からその視点で活動してきた。 C自立を手助けする:JOCSの出発点から掲げている点である。これは、他のNGOでも言われているがまだ実現できていない例が多く見られる。 D大病院医療からPHC(Primary Health Care):既に岩村Dr.の時代から村を廻ってPHCに近い仕事を始めている。 E政府、社会への発言:提言を出すことができる事業内容を行ってきた。それは事業の大きさではなく、思想性、発想性の面。途上国への医療協力の要 望書は「第2回バンコク会議報告書」、「アジアの呼び声に応えて」参照。 |