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この文章は理事や事務局、ワーカー、会長、その他どなたに見せてもかまいません。文責はバンコク会議準備委員ではなく大友個人です。経験が少なく、JOCSに関する文献を一部読んだだけで書いているので、誤解やトンチンカンな内容が多く含まれているとは思います。ただ、このままではバンコク会議を"神のみ声に従う実り多き会議"とすることは難しいのではないか?という思いからだけで書いています。
★★★★★★議論の出所★★★★★★★
さて、過去のJOCSフォーラムや第1回からのバンコク会議報告書「アジアの呼び声に応えて」などを読んでいて思ったのですが、やはり今回の会議は過去のバンコク会議と違うところがあると思い、また、これは今の内に修正した方がいいと思ったところがあります。以前から感じていましたが、大きな違いは"議論の出所がない"ということだと思います。
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★過去3回のバンコク会議おさらい★
★第1回バンコク会議★
第1回バンコク会議はどうして行われたかというと、キ医連の内部でJOCSに対する激しい議論が戦わされたということが発端です。委員長は吉松和也理事。JOCSを初期から支えた中心メンバーだと思います。バンコク会議の7年前から理事をしています。このときのバンコク会議出席者は1)ワーカー、2)理事、3)キ医連の若手会員で、JOCSのあり方に批判的でありながら、海外協力には積極的な準備委員メンバーでした。(具体的には吉松和哉、稲村博、倉辻忠俊、石川信克、崔秀賢、各氏)
○議題については
・キ医連(この当時は理事会もキ医連のなかで行われていた)で活発な議論があり、OTCA問題(JICAと組むかどうかみたいな問題)などを解決しなければならなかった。
・P&Pの作成をしなければならない火急の要請があった。
○議論の出所
・キ医連
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