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バンコク会議とは? にゅうずれたあ目次へ

★★★問題解決の観点から★★★★★★
『会議の進め方』(日経文庫p172)には
 問題解決ステップ、
 1) 問題を定義づける
 2) 問題自体を分析する
 3) 解決の目標を設定する
 4) 解決策と手順を決める
 5) 実行前に検討評価する
と書かれていますが、この点から過去3回のバンコク会議を考えると1)2)3)までがバンコク会議の仕事で4)5)はそのあとの仕事という気がします。それぞれのバンコク会議を考えてみると、
 第1回では1)2)が準備委員会前にある程度なされていて、準備委員会ではその"すり合わせ"と3)がある程度なされる準備+発題+会議の実務をするというのが準備委員に与えられた役割だったような気がします。発題は準備委員の実力から見て相当のものであった気がします。
 第2回では1)2)がほぼできていてそれを日本側とワーカー側で"すり合わせる"こと+3)がバンコク会議でなされる準備というのが結果的に見て準備委員の役割であった様に思います。
 第3回では1)2)3)をバンコク会議で行う準備をしていったように思うのですが、結果として各参加者がバンコク会議までに問題を共有していなかった様に思います。議事録を読むと1)2)3)が混然としていて、議事が大変だったような印象を持ちます。
今回はJOCSとしての問題はたくさんあっても、それが理事・ワーカー・事務局などで問題が共有されているようには見えません。意見収集やKJ法などを行ってみましたが、いまいち焦点が定まらない様に感じます。少なくとも、問題意識を共有するまでには至っていません。今後同じ様なペースで準備委員を続けてもやはりこの点は変わらない様な気がします。

★★バンコク会議では何ができるのか?★★
バンコク会議では何ができるのかといえば上に1)2)3)と書きましたが、時間の制約、空間の制約(準備段階でみんな離れたところにいる)から実際には1)2)3)の一部だけができる事柄でしょう。つまり、国内ではある程度1)2)3)が議論されていて、ワーカーにもそれが伝わりバンコク会議までに発題する、あるいは、当日までに考えてくる。その上でお互いをすり合わせできるだけ現場の感覚あうように調整していく、それくらいしかできないんじゃないかと思うんです。
ということはバンコク会議までになんとしても1)2)くらいはできていければならないと思います。しかし、現在までのところそれが十分にできているとは言い難い。今まで意見収集をし、ゲストスピーカーなどに話を聞き、これから、「ひとこと言わせてJOCS」を開催し、理事会に出席する。これでも不十分になるような気がしています。

★★★★★★★★★原因★★★★★★★★
この原因を少し考えてみました。
1)問題は問題を感じる人が問題として取り上げたときに問題となる
ある程度議題を選んだいったのは準備委員会ということは言えましょうが、やはり、過去3回のバンコク会議では準備の段階で議題が出ていたようです。第1回ではキ医連に問題を感じる人がいて、キ医連のなかではOTCA問題をきっかけにもう議論が湧き起こっていた。第2回では基本問題研究集会あるいは基本方針審議会がその役割を担っていた。これはかなり高度な諮問機関だったと思う。第3回ではカンボジアからの声があった、あるいは、第1回、第2回ワーカー会議から、ということができるでしょう。今回は今のところ誰も声をあげていない状況でのスタートだったと思います。
2)ワーカーあるいは理事との関係が希薄
 もう一つ問題なのは準備委員とJOCS中枢あるいはワーカーとの関係が希薄ということでしょう。上に声をあげていないと書きましたが、これはただ準備委員に声が届いていない、ということが原因かもしれません。たとえば1回目では理事が委員長となり"若手"準備委員と共に準備していっています。この準備委員のメンバーはキ医連にも出席して議論を知っている人たちだったと思います。第2回目では委員長の内坂徹さんは基本方針審議会にも出席しています。第3回はそういう関係はあまり見あたりませんが、柳澤さんが若手ワーカーとしてカンボジアにいて年齢が近いという事からも若干のコンタクトが準備委員とあったように感じます。理事会のようなJOCS中枢、あるいは、フィールドに出ているワーカーと今回の準備委員が"友"あるいは"師"と言えるほどの関係を持っているかというとそうでもないような気がします。第1回、第2回はキ医連のなかで育ってきた準備委員、第3回、第4回はセミナーで育って来た世代、しかし、セミナー自体がJOCS中枢との関係が薄くなっている、そういう状況です。これは今の準備委員が反省すべき内容も含んでいるかもしれ ませんが、実際はもっと

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